牛に騎って我が家に帰ってきてみると、もう牛に用はない。もう手綱を持っておる必要はない。放っておいたらよろしい。…(中略)…草を食おうがゴロ寝をしようが、牛の思うままにさせておいたらよろしい。そして、もう牛というものも忘れてしまう。その牛というものもなくなってしまえば、仏性というものは実に閑暇なものである。何も求めるものはない。天地の間に求めるものは何もない。飯に会うては飯を喫し、茶に会うては茶を喫するだけだ。飢え来たれば飯を喫し、困じ来たれば眠るだけだ。腹が減ったら飯を食い、眠うなったら寝るだけだ。人生の終点に着いた景色である。
《原典・伝灯録/引用・山田無文著『十牛図』(禅文化研究所)より》
*写真 雲水の托鉢