
佛通寺は、應永4年(1397年)小早川春平公が愚中周及(佛徳大通禅師)を迎え創建した臨済宗の禅刹である。
佛通寺の名称は、愚中周及の師である即休契了を勧請開山とし、彼の論号(佛通禅師)を寺名にしたことを起因とする。小早川家―族の帰依を受けて瞬く間に寺勢は隆昌し、最盛期には山内の塔中88ヵ寺、西日本に末寺約3千カ寺を数えるに到った。
しかし、応仁の乱の後に荒廃にむかい、小早川隆景の治世になってやや再興したものの、福島家そして続いて浅野家と権力者が変わるにつれて、しだいに当時の面影を失ったのである。しかし、明治期に入ると一転して法灯は大いに挽回され明治38年、参禅道場をもつ西日本唯―の大本山として今日に到っている。