修行(雲水の生活)

総参
そうさん

 本分強調週間の大接心(おおぜっしん)になると、通常は朝暮二回の独参(どくさん)も回数を増して四回以上になる。この他にも前後三回の総参が設けられている。総参は独参とは異なり、見解(けんげ)の有無にかかわりなく、ひとりとして入室(にっしつ)を避けることは許されない。
 入室参禅は、自己の所見(見解ともいう)を呈して師家の検閲を仰ぐことである。参禅しなければ坐禅は実を結ばないし、進歩もない。しかし、確信のないあやふやな見解では、隠寮(いんりょう)の敷居が高くて師家(しけ)の前に出られない。師家は、いいかげんな見解をいち早く見抜いて、追い出しの合図の鈴を鳴らして相手にしない。場合によっては策励(さくれい)のための嘲笑、悪罵が浴びせられる。音高く一掌(ビンタ)をみまわれ、順番を待つ喚鐘場(かんしょうば)までパチンという音が聞こえることも珍しくない。
 このように偏見に囚われていて、一向に進歩の見えない者や、知的分別で見解を呈する者に対しては、手厳しい痛棒をふるって室外に追いたてる。さながら流血の修羅場と化すこともあって、室内は総参、独参を問わず両者の命かけての法戦場(ほっせんじょう)でもある。
総参の合図は初日、中日、終わりの三回である。知客っさんが喚鐘を打って入室を促す。入室の前者と後者はちょうど隠寮の廊下で出会うようになる。

 室に入る前に礼拝してから師家と対座し、まず名を名のり、所持の公案を唱えれば、老師はうずくまる獅子のごとく静かに坐って法戦のときを待っている。