修行(雲水の生活)

提唱
ていしょう

 一、六、三、八の日は提唱、すなわち講座日である。この日は心ある外部の者にも聴講が許されることがある。
 僧堂では、何もかも合図はみな「鳴りもの」 による。定刻に禅堂の前門に掲げられている板木が打ち鳴らされると、大衆(雲水)は袈裟(けさ)をつけて威儀を改め、つぎの合図の鳴りものを待つ。やがて樹間の空気を震わせて法雷のごとく法鼓(ほっく…太鼓)が響くと、堂内取締役の直日(直日)は引磬(いんきん…かね)を打って大衆の出頭を促す。大衆は静かに単(自分の坐位)を降り、講本を捧げて本堂に入る。本堂に着座し終わるころ、道場主である老師が知客(しか)っさんに先導され、侍者(じしゃ)を伴って現れる。
 開山、歴代、講本著者の順に、短いお経が一巻ずつ三回読まれるが、老師はそのつど香を献じて礼拝される。つづいて老師は講座台に上って本尊に対面して坐る。そのころには大衆は開山大師の遺誡(ゆいかい)を読んでいる。
 提唱されるにふさわしい雰囲気と、聴講者の心の準備がしだいに醸成されて、提唱は始められる。提唱とは「ブラさげて見せる」という意味である。決して単なる説明ではない。だから、教科書の講義を聴くような知性や常識では、理解が困難である。講本の文字文章や老師の言葉の内面的な含蓄を味得し、ウーンと合点できるようになれば雲水も一人前である。
 頻(しきり)に小玉と喚べども元これ無事、檀郎が声を認得せんことを要す
 という禅語がある。恋しいと思う男性に、自分の所在を知ってもらいたいので、用事もないのにしきりに召使いの名を呼びつづける女心にも似ているのが提唱の味であろうか。